スクリーン・ディレクションの話

大学の敷地を歩いていると、ついつい顔を見上げてしまう。丁度季節の変わり目とあって、細身の幹に必要なだけの葉を生やした大木の緑が朱に染まり、鋭く尖った一枚一枚の葉の先が日光に照らされてぬらぬらと光をまとっている情景を目にする。特に一番のお気に入りは2限の始まる少し前、午前10時頃の時間帯で、まだ染まりきっていない上の方の葉に光が当たり、緑から紅への美しいグラデーションを目の当たりにすることができる。輪郭が光を帯びて樹全体が周囲から浮かび上がり、その存在を見る者へと訴えかけてくるようだ。そんな光景を眺めているだけで、まだ一日が始まったばかりの午前の頃合だというのに、なんとも満ち足りた気分になってしまう。

そんなある日の午前。その日はいつもと同じ地点に立って大木を見上げようとしたら、風に吹き上げられながら大きく円を描いて宙に舞う落ち葉の光景に目を奪われてしまった。空中で円を描く葉は、まるで何者かに操られているかのように均整のとれた軌道を描いており、人の手の加えられた人工の「情景装置」の感を思わせた。そんな折に思い出したのが、高橋丈夫絵コンテの『狼と香辛料Ⅱ』(2009)のOPアニメーションである。

高橋丈夫はといえば、回転のmouvementをよく演出に取り入れるアニメ演出家であると記憶している。前述の映像で中心を貫いているのは、風に吹き上げられながら宙をまっている落ち葉の構成要素で、様々な場面を移り変わりながらもその回転は同じ軌道を保ち続けていることである種の普遍性をテーマ的に醸し出している。回転の運動が連想させるのは、特に「時計の秒針」だ。同じく高橋が監督しているタイトルに『ヨスガノソラ』(2010)がある。本作で特に印象に残っているのは主人公の春日野悠のクラスメイトで幼い頃に彼と親交のあった天女目瑛のパートなのだが、ここでは「時計回り」と「反時計回り」の動きの線が効果的に取り入れられている。前提としてこの作品には「過ぎ去った時間」の主題があり、ヒロインとの邂逅はある種の「埋め合わせ」として理解されるのだが、そのような場のコンテクストがこれらの解釈を行うヒントとなっている。扇風機の羽、デスクチェア、換気扇……中でも神社のお風呂場で挿入される「換気扇の回転」を長写しした捨てカットは示唆的だ。意味を持たない運動として捉えられてきた回転は、悠と瑛が「埋め合わせ」を行うシーンの中で場のコンテクストが温まり、室内の空気を入れ替える壁面の換気扇の動く羽は、「壁掛け時計」の秒針をごく自然に連想させるようになる。逆に(本筋とも関係していく話となるので詳細は割愛するが)、巫女である瑛の「舞」は逆回転の運動として描写されることで、正回転との比較から、彼女を古い因習にしばりつける表現として自然に理解されるようになる。このように、スクリーン・ディレクションにおいて、高橋に限っては回転のmouvementが一役買っているということが出来そうだ。

スクリーン・ディレクションは画面の中の被写体やその動きに対称関係を作り出すことで、場で醸成されたコンテクストとの兼ね合いから解釈の幅を規定する主要要因となるが、これらは何よりもまずわれわれが日常的に目にしているモチーフのように、直感的に理解できるものでなければならない。日常にあるものをよく観察することが、より良い鑑賞の糧となることだろう。そしてふと時偶、僕は現実の風景の中に虚構世界のイメージの残滓を読み取るのである。

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