スピーカーの話

最近僕はスピーカーを自作することにハマっている。スピーカーの自作というと怪訝な顔をされるかもしれないが、「自作スピーカー」と聞いてニヤニヤするのはおそらく今はもう50~60歳くらいの世代であろう。その昔「長岡式自作スピーカー」という触れ込みでオーディオライターの長岡鉄男氏に端を発した自作スピーカーブームがオーディオ界隈で一世を風靡したようだ。それについて多くはしらないのだが、どういうわけか「長岡鉄男」の名前をもはや退潮した過去の流行の中から掘り起こしてきて、長岡氏の残した図面(その多くは既に絶版になっている)や基礎理論を基に、奥深い自作スピーカーの世界へと僕を引き込むこととなった元凶の友人が身近にいたのであった。

こういうものもいわゆる文化資本の一種なのだと思い知らされる。彼の実家にはアトリエがあり、比較的早い段階で木工工作に集中できる環境があったそうで、同時にDIYオーディオの世界に触れることのできる体制が整っていたようである。お互い下宿生ということもあり、彼の自室にお邪魔させて貰った際に、「これが大学生の聴く音の水準なのか!」と非常に驚嘆させられたものだ。そんな「自作スピーカー」との運命的な邂逅から、縁あってぼく自身も友人の助力を得ながらひとまず最初の一組を制作できる機会に恵まれたので簡単に覚書を書き記しておきたい。

スピーカーにもいろいろな駆動方式があるが、バスレフレックスといういわゆる「バスレフ型」であれば比較的簡単に自作することができる。まずスピーカーには音を鳴らすユニットがあり、これを包む箱を一般的に「エンクロージャ」(またはキャビネットなど)と呼ぶということを明記しておきたい。ユニットは目で見てもわかるように振動板から音を発するのであるが、振動板の裏面からも逆相で放出されており、特に指向性の低い低音域の音波はそのままだと正相と逆相がぶつかり合って相殺されてしまう。これが一般的にエンクロージャが必要とされるゆえんである。中でもバスレフ型エンクロージャは振動板の背面から放出される音を箱の中に閉じ込めるだけのシンプルな構造なのであるが、このままだと低音域が伸び悩むので穴を開けてダクトを設置し、これを共振させることで、エンクロージャの中の空気を活用してダクト内部の空気を空気バネの要領で押し出して、低音を放出する駆動方式である。一般的に振動板の振幅は数mmだと言われているが、ダクト内部の空気はそれよりも大きく動くことができる。前者は少ない振幅で空気を振動させるためにより広い振動板面積を必要とする傾向があるが、後者は大きな振幅で空気を振動させることができるので前者に対して小さな口径で事足りる、というわけである。これらの最適なパラメータを計算で算出するのがスピーカー設計のいろはなのであるが、ここでは理論面の話は割愛する。それよりも、市販品のスピーカーを選ぶ際にも応用の利く話を中心に具体的に書いていきたい。ユニットは大きいほうが良いのか、数が多いほうが良いのか、あるいはエンクロージャの形状はどういったものが良いか、という類の話だ。

大型家電量販店のオーディオコーナーを実地で見てまわって感じるのは、一般消費者向けに展開されている製品の多くは1~10万円までの価格帯に収まっており、コンポのセット売りといった形態が中心でスピーカー単体での販売は少ないということだ。スピーカーの駆動にはプレイヤーなどの入力機器の他に最低でもプリメイン・アンプなどのアナログアンプや、あるいはデジタルアンプが必要となるのだが、そういうものもコンポであれば一式まとめてワンパッケージで提供することができる。それで肝心のこの価格帯に採用されているスピーカーの形式なのだが、端的にいってどう頑張っても性能の上限を感じ取ってしまう。それも聴感上有意に感じ取ることができるレベルでの限界だ。それは後述するとして、一通り問いに対する答えを列挙していこう。まず、ユニットが大きいほうがよいのか、という問いだがこれは一般的には大きなほうが良い。振動板面積が広い分、低音域でのユニットの「空振り現象」(振動面が空気を押そうとしても、左右に逃げていってしまい空気を振動させることのできない現象)を防ぐことができるからだ(ホーンを取り付けることで空振りを防ぐものをあるが一般的ではないのでここでは割愛する)。そのかわり口径の大きなユニットは高音域の再生を苦手としやすい。そこでトゥイーターと呼ばれる高音域専用のユニットを内部の「ネットワーク」と呼ばれるフィルター回路で調整して付け加えることで、マルチユニット構成とするのが今のスピーカー市場のメインストリームとなっている。しかし、正直これに賛同することはできない。ここからがスピーカーを自作してみてはじめて実感したことなのだが、充分な設計がなされていれば一台のスピーカーに必要なユニットは、一つで事足りるのである。こういうスピーカーを特に「フルレンジ」と呼称する。逆にユニットが複数台あると音源が分散されてしまい、音像の定位が曖昧になってしまう。さらにユニット間で被った音域は、大きく音を濁らせる原因となるのだが、このためにある内部フィルターは周波数特性のグラフに谷をつくるようにクロスさせるのが定石となっており、質の悪いスピーカーになると再生できる音域に谷ができてしまうのだ。ユニットが5つも6つもついているスピーカーは論外である。ここまでいうとお察しの通り、10万円以下で買えるホームシアターシステムでよくセット販売されている「トールボーイスピーカー」は地雷であると言わざるをえない。それらはハリウッド映画の破砕音を再生するのには秀でているが、とてもじゃないが「聞けた音」ではないのである。そうしたスピーカーはコストカットのために表面が塩ビシート仕上げとなっている例が多く、見た目の上でも判別できるので、あなたがもし購入を検討されているのであれば、選択肢から除外することを強くお勧めする。「ホームシアター」というキャッチコピーは、AV機器と合わせてゴミ同然のスピーカーを複数台合わせてセット販売するための広告戦略なのだ。今述べたスピーカーは話にならないので脇に退けるとして、僕が特に述べたいのは10万円以下の価格帯で売られている2台1組のピュアオーディオ用の「高級」スピーカーである。

結論からいうと、僕はここに自作の優位性を実感している。どういうことかというと、まさにこの価格帯のオーディオ用スピーカーに性能の限界を読み取っているのだ。勘違いして貰いたくないのは、これらは決して悪い製品ではないことである。いわゆるオーディオプロパー向けの「有名」メーカーも多数供給しているし、メーカーのエンジニアはむしろ多数の制約下で精力的に製品開発しているように見受けられる。しかし一番重要なのは「市場のニーズが歪んでいる」ということなのである。端的にいって「フルレンジ」のスピーカーは「地味」で、実際「売れなかった」のだそうだ(記事の出典は失念してしまった)。また自作マニアの中で一部の向きに熱烈な人気を誇っているものに「バックロードホーン」と呼ばれる駆動方式のスピーカーがあるが、これはユニットの大きさに比べてエンクロージャが異様に大きく、ぱっと見の主観でスリムで沢山ユニットの並んでいるスピーカーに比べて「いい音が出そうにない」。もうお分かりの通り、スピーカー市場は「見た目」が「想像上の音」を規定する世界なのである。メーカーのエンジニアはそのしがらみと制約の中で、なんとか現実と折り合いをつけながら「想像上の音」に「現実の音」をすり合わせるべく日夜絶え間ない努力を重ねている。

音を表象する、というのは困難を擁する。それゆえにスピーカーの外見が音を表象する一因となり、「音のよさそうなスピーカー」というイメージが独り歩きする現象がおきているのは興味深い。しかし気障な言い方をするとすれば、「自作スピーカー」をつくるということは、まさしく真実の音と向き合う洞察の作業なのである。

結論をまとめていこう。事実として10万円以下の価格帯のスピーカーは、ブックシェルフ型サイズのバスレフ型スピーカーに落ち着く製品が多い。これを超える規模のスピーカーはコスト的に厳しいものがあるのであろう。しかし的確に設計されたフルレンジのスピーカーは、たとえシンプルなバスレフ型スピーカーであっても、より大きなユニットを、より大きなエンクロージャで、市販のスピーカーシステムよりも廉価に駆動させることができる。フルレンジスピーカーはユニット代さえ実費を支払えば、あとは実質材木の材料費だけで製作できるからだ。そしてここでのスピーカーの規模は、「多数の制約下でプロが知恵を絞って設計した小型スピーカー」に音で優越する。これが実際にスピーカーを自作してみて得た結論である。一般的に音量を上げた際にスピーカーが音割れするのは単にエンクロージャが小さすぎるか剛性不足で、一向に音が定位しないのは音源が分散しているからなのだ。さらに上手く設計されたフルレンジスピーカーはマルチユニットスピーカーよりも広いダイナミックレンジを実現することができる。

それ以上の価格帯のプロパー向け高級マルチユニットスピーカーはまた別の設計思想があるように見受けられるのでここでは多くは触れない。充分な予算があれば、一つのユニットで一番綺麗に再生できる音域のみを再生させ、それをコラージュしていく設計思想になるのだと思う。そうしたスピーカーはどの音域を再生させても音のひずみがなく、どこまでも余力を残したまま再生し切る素晴らしい持ち味を感じさせるのだが、そうしたスピーカーはセットで50万円を超えるような代物で、アンプもそれなりのものを用意しなければならず、大学生の僕にはとても手に負えたものではない。しかし自作スピーカーであれば、アンプも含めてわずか10万円以下の予算で「そこそこの音質」が実現できるので、これ以上なくコストパフォーマンスが良いのだ。自作にも自作の沼があるのだが、それにはおいおい触れていくとして、今はこのあたりの水準で充分満足できている。やはりよい再生環境を手に入れるといろいろな音楽が聴きたくなるものだ。最近はクラシックにはまってしまい、特にブラームスの交響曲がお気に入りである。ザンデルリンク指揮の、シュターツカペレ・ドレスデンのゆったりとした威風堂々の演奏を聴いていると、どうしても秋の季節の移ろいを連想してしまう。まるでそこで楽器が演奏されているような音の〈手触り〉は、それを解釈によって何か別の体系の中にずらすことで新たなイメージを誘発し、〈かたち〉を構成する記号系の中で音象徴を弄ぶ知的快感へと転化する。そうしたイメージの形成を喚起する能力が、よいオーディオのもたらす〈音楽〉にはあるのだと思った。

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