【告知】C83冬コミ寄稿情報(二本)

おはようございます。本日からコミケ1日目となり、機を逸してしまった感がありますが、Twitterだけではなく、ブログのほうでも告知記事を記しておきます。

まずは一本目です。

■龍血一滴(東ヒ-15b,他):〈敵〉というレトリック

C83(一日目)、機龍警察合同誌『龍血一滴』に「〈敵〉というレトリック」という設定考察論考を寄稿しました。冒頭500字をサンプルとして公開します。

「過去の歴史を振り返れば、市場の力は最後には政府の力を凌駕する。今世界で起きている様々な出来事は、金融、政治、犯罪の三つの観点から同時に捉える必要がある」――沖津旬一郎

機龍警察は、〈龍機兵〉を巡る設定を除けば、実に明確に現実の世界情勢を切り出している。

数ある代表作の中で、特に『ノワール』(2001)では美少女ガンアクションのストーリーラインの背後で第二次大戦以降の地域紛争や国家のアイデンティティにまつわる文脈を汲み取りながら緻密な世界観を構築していた脚本家・月村了衛。その氏の「作家デビュー作」とあって、私は本シリーズを手に取らずにはいられなかった。そして第三作『機龍警察 暗黒市場』まで読み終えた今、ノワールで現出しようとしていたあの〈世界〉との相似を、ここに強く読み取るのである。「機龍警察」には、現実の世界を如何にしてフィクションの中に反映させようかと苦心する、氏の信念のようなものが感じ取れると言ってよいだろう。その整合性への関心は、政治分野、経済分野、歴史分野と多岐に渡っており、非常に広い文脈を射程に入れている。さしあたって本稿ではそれらをまとめて「現代政治経済史」として曖昧に呼称しつつ、同時にそれらを綜合するニュアンスを込めて先のフレーズを用いることとしたい。本稿は「機龍警察」のストーリラインの背後に構築されている緻密な世界観を、俯瞰的な視座に立って現代政治経済史の文脈から解題する試みである。

このように、論考では月村氏の作劇の姿勢から読み取れる、「とてつもなく巨視的な水準で現実を写生しようとするリアリズム」の形態を解題することを目標とします。ブルックスブラザーズのスーツを着てユーリの前に立ちはだかるかつての仇敵であり、ロシア官僚であったバララーエフ。その装いからは「アメリカナイズ」の記号が読み取れるのであり、拙稿ではオリガルヒの文脈の背後で含意されると思われるアメリカの「新自由主義」について紙幅を割きながら、沖津の「レッテル貼り」のポピュリズムから、オフショアを経由した集金スキームを通じた「新しい腐敗」の在り方までをテーマ的に解題しています。

次のご紹介に移ります。

■イルミナシオン(東パ-28a):「異邦人」としてライトノベルを読む

C83(一日目)、「思想と文学とサブカルチャー」の同人誌『イルミナシオン』に「「異邦人」としてライトノベルを読む」を寄稿しました。冒頭1200字となる誌面のサンプル画像を公式サイトのcontentsページよりお借りして記載します。

”一人の「ラノベ好き」の立場から敢えて「異邦人」としてライトノベルの好みを表明していくということ。新しい近代のコミュニケーション空間において、「声」を発する場所を確保するのは現代人の至上命題である”

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いつしかライトノベル界隈は、作品そのものを受容する場から、コミュニケーション主体の場へと移り変わってしまいました。そこではコミュニケーションのための読書が目的化し、作品の鑑賞は二の次となっています。その至る先は「お友達に嘲笑われるからあれこれの作品は読まない」といった受容態度、つまり醸成された規範意識に沿って選好が保守化することで、ライトノベル界隈にあった作品の多様性は失われてしまうのではないか、と筆者は危惧しました。拙稿では、そのような昨今のライトノベル情勢を「ライトノベル読者」の基礎付けによって読者論から解題し、同時に筆者のとる立場から竹宮ゆゆこ『ゴールデンタイム』の作品論を扱います。氏の作品から読み取れる「単独者の眼差し」を暴くことで、「ライトノベル読者はどうあるべきか?」という問題提起を行う論考です。

以上、冬コミ寄稿原稿2本をご紹介いたしました。

僕は会場にはおりませんが、お立ち寄りの際は是非お手にとって頂けると幸いです。

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